昨年7月2日に大阪府堺市で、車を運転していた男性が、自車を追い抜いたバイクをあおった末に追突し、大学生の男性を死亡させた事件につき、加害男性が殺人罪で大阪地裁堺支部に起訴され、裁判員裁判で審理がされていましたが、2019年1月25日、判決があり、裁判所は、殺人罪を認定し、加害男性を懲役16年に処したとの報道がありました。
この事件は起訴された昨年7月の私のブログで取り上げましたが、高速で走行中に「わざと」追突したのであれば、特に被害者はバイクですから、それ自体被害者が死亡する危険性が極めて高い行為であり、必ず殺すという強固な殺意とまではいえなくても、被害者が死ぬなら死んでも構わないという程度の、いわゆる「未必の殺意」があったということは十分可能です。
とはいえ、追突が「わざと」であるというのは加害男性の主観的な内心であり、外から目に見えるものではありませんから、本人がこれを認めない以上、客観的な行為態様や経緯その他の周辺事情によって証明しなければなりません。あおり運転をしたとしても、「わざと」ぶつかるつもりで運転するとは限りませんし、まして、殺意まであるケースは稀でしょう。そうすると、加害男性が、「ぶつかることまではしないつもりで、あおり運転をしていたが、距離や速度の確認、ハンドル操作を誤ったために追突した」、という言い訳をしたときに、それが常識的にあり得えないと否定しきれるか?
その言い訳は疑わしいとは思うが、常識的にみて、ありはあり、ないとはいえないということなら、「合理的な疑い」が残ることになるので、「わざと」衝突したという認定はできないことになります。
そこで、この事件では、A追突が「わざと」なら「未必の殺意」まで認定できそうだが、B追突が「わざと」であるとまでいえないなら、殺人罪は成立しない、というところで、追突が「わざと」かどうか、がメインの争点となります。
そして、ドライブレコーダーに残された双方の走行状況の録画と、衝突直後に加害男性が「はい、終わり」と言った声の録音が重要な証拠となったようです。
この「はい、終わり」が、どういうつもりでそのように言ったのかにつき、検察官と弁護人の主張が戦わされたようですが、字面の言葉だけでなく、どのような言い方だったのかも重要となるでしょうし、また、客観的な双方の走行状況からみて、どういうつもりで言ったと考えるのが自然か、という観点からの評価も重要でしょう。
結局、裁判所は、この言葉は、衝突することが加害男性の想定内であったことを推認させる、と判断し、(恐らく双方の走行状況と合わせて考えて)衝突自体は故意であったと認定しました。
それにしても、この事件は、ドライブレコーダーがなければ、「わざと」ぶつかったかどうかを裏付ける客観的な状況自体が明らかにできませんから、殺人罪での立件・起訴自体無理だったでしょう。ドライブレコーダーは、通常の自動車事故レベルでも安全対策や立証方法として既に重要なものとして認識され始め、バス事業者など一部義務化の動きも出ていますが、今回のようなケースをみると、あおり運転対策としても、極めて重要なものといえます。相変わらずあおり運転によるトラブルが後を絶たないことからすると、義務化もやむなしといえるかもしれません。