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弁護士ブログ「衣笠さん逝去-「鉄人」のいわれ」甲斐野正行

2018.04.26

一昨日(平成30年4月24日)、出張先の東京で、衣笠さん逝去の報に触れました。

19日のテレビ解説でのご様子がおかしいということが話題になっていたのは知っており、それ以前から声が出なくなっていて体調が悪いことは承知していたのですが、こんなに早く亡くなるとは思いませんでした。

衣笠さんのお陰で、初優勝からJ2まで幸せな思い出を頂いた者として、感謝を述べ、ご冥福をお祈りいたします。

 

ところで、東京より帰広した昨夜から今朝にかけてのテレビ報道を見ていて違和感を覚えたのは、衣笠さんの異名である「鉄人」のいわれや、いつからそのように言われるようになったのかです。

テレビでは、衣笠さんの入団当時の背番号が「28」であったことから、横山光輝さんの「鉄人28号」にかけて、そう呼ばれるようになったと言っていました。これはさも衣笠さんが背番号28時代(昭和49年まで。昭和50年からは3番)から「鉄人」と呼ばれていたかのような印象を与えます。変だと思って、ウイキを見ると、そのような書きぶりでしたから、おそらく、テレビ制作者がウイキを丸写しにしたのかという気もします。

しかし、昭和50年以前の弱小時代から知っている世代の広島の方で、その当時の衣笠さんを「鉄人」と呼んでいた人がいますかね?私にはそのような記憶はまったくないのですが。

私は、鉄人28号自体、テレビアニメとしては白黒時代からリアルタイムで見ていましたし、カープについても小学生時代から熱心にラジオ中継を聴いており、結構なマンガオタクかつ野球オタクでありましたから、そうした話があれば、当然その記憶があるはずです。

ちなみに、弱小球団であった当時のカープの実在選手が野球マンガでフィーチャーされることはなく、唯一といってよい例外が梶原一騎原作の「侍ジャイアンツ」で、衣笠さんが主人公・番場番の魔球ハラキリシュートを(実は反則の打法で)ホームランしたのですが(少年ジャンプ連載は昭和46年~昭和49年で、このエピソードは昭和48年ころだと思います。)、その中でも、衣笠さんについて「鉄人」という表現はされていません(まあ、同作では衣笠さんが巨漢として描かれていましたから、実物の衣笠さんを見ずに描いていたと思われ、きちんと取材していなかったでしょうが)。

また、その当時ですら、鉄人28号は既に古いマンガでしたし、背番号に因むのなら、どのチームにも「28」はいますから、衣笠さんに限る話ではないことになります(同時代のスター選手なら、セリーグだけでも、ジャイアンツの新浦投手、タイガースの江夏投手、スワローズの大矢捕手がいますが、彼らはそうした異名で呼ばれることはありませんでした。)

「鉄人」というのは、やはり衣笠さんの頑強さや我慢強さというイメージが前提となったはずで、少なくともマスコミが「鉄人」という異名で衣笠さんを表すようになったのは、連続出場が話題になり、その耐久性や強さが喧伝されるようになってからではなかったでしょうか?

昭和49年以前の衣笠さんは、豪快な空振りや長打力はともかく、「頑強さ」「我慢強さ」で殊更に語られることはなかったはずです(実際にも、連続試合出場記録のスタートは昭和45年10月であり、昭和49年時点でもまだ4年くらい)。

しかも、連続出場というのは、日本ではもともと記録として大した評価はされておらず、これがクローズアップされるようになったのは、日本記録であった飯田徳治さんの1246試合や、それとの比較でルー・ゲーリッグの当時のメジャー記録2130試合が視野に入るようになってから、つまり、早くとも、連続試合が1000試合前後となった昭和52、3年以降ではなかったかと思います。

そして、ルー・ゲーリッグの異名がまさに「アイアン・ホース」(鉄の馬)であり、あるいは、「アイアンマン」(鉄人)と呼ばれることもあったということで、これの倣いで、衣笠さんについても「鉄人」という言い方が出てきたように記憶しています。鉄人という言い方は、もしかしたら、昭和54年にジャイアンツの西本投手からデッドボールを受けて、肩甲骨を骨折してもなお翌日代打で出場した頃以降だったかも知れません。これは、非常に衝撃的な出来事で、いまだに生々しく記憶しており、衣笠さんの身体的な頑強さだけでなく、精神的な強さとレギュラー選手としてのあるべき姿勢を示したものと感銘を受けたものですし、鉄人のイメージにふさわしいエピソードです。そして、これが連続試合出場の最大の危機であり、これを乗り越えたことで、この記録への世間の関心がいよいよ高まったのです。

「鉄人」という異名が「鉄人28号」に由来するとしても、それは背番号3に変わった後、昔の背番号が28だったことに因んで、それもあるよね、ということではないかと思いますし、少なくともマスコミ的には、ゲーリッグの異名との関係が大きかったはずです。

私の記憶違いがあるかもしれませんし、傍目にはどうでもよいことかもしれませんが、衣笠さんの現役時代を知る人も少なくなり、更には飯田徳治さんや肝心のルー・ゲーリッグすら知らないか、興味がない方ばかりのようにも思いますので、先達や記録へのリスペクトを込めて、往時を知る者として記すことにしました。

 

鉄人の先達であるゲーリッグは、筋萎縮性側索硬化症により37歳の若さで亡くなっており、それよりはというところはあるとしても、衣笠さんの71歳というのは、日本人男性の平均寿命からして早いと言わざるを得ません。ゲーリッグは、直接の死因となった筋萎縮性側索硬化症だけでなく、身体のあちこちが長年のハードワークで痛んでいたということですし、衣笠さんも、随分ご無理をされたところがおありだったでしょう。

改めてご冥福をお祈りしたいと思います。