厚生労働省は、昨日(2019年7月18日)の社会保障審議会・医療部会で、現在の医療提供体制の在り方や医師の勤務環境などを踏まえた、医師の応召義務に関する新たな解釈を都道府県へ通知する方針を明らかにしました。
応召義務があっても診療をしないことが正当化される事例を、患者の病状の深刻度や迷惑行為、医療費の不払いなどのケースに応じて整理するということで、早ければ秋にも通知が出されるようです。
医師法19条1項は「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と医師の応召義務を定めていますが、この義務は、医師と国家の間の問題(公法上の義務といいます)と理解され、本来は、医師という特殊な立場に課せられる倫理的な義務というべきものだったと思われますが(診療を拒んでも罰則はありません)、かといって、医師と患者との間の私法上の関係に全く影響がないとはいえません。
医師や病院が何らかの理由で患者の診療を断り、その結果、患者に何らかの損害が発生したときの賠償責任の根拠として、医師法19条1項の「正当事由」の有無が問題とされるのです(たとえば、神戸地裁平成4年6月30日判決・判例時報1458号127頁)。
欧米では、必ずしも一方的に医師が応召義務を負うわけではないようで、患者が医師を選ぶ権利があるのと同様に医師も患者を選ぶ権利があるという国もあるようですが、日本では、かなり厳しくこの応召義務が理解され、運用されてきました。
これまで厚生省の見解として、診療を断ることができる「正当事由」と認めていたのは、
1.医師の不在または、病気等により事実上診療が不可能な場合(S30.8.12 厚生省医務課長回答)
2.天候不良で、事実上往診の不可能な場合(S24.9.10 厚生省医務局長通知)
3.手術中など患者を収容しても適切な処置が困難な場合(S39.10.14 厚生省総務課長通知)
などで、正当事由が認められるのはかなり極めて例外的でした。
他方、
① 診療費の不払いや診療時間外であることはその患者の状況次第では診療を拒むことはできないとされ(S24.9.10 厚生省医務局長通知)、
② また、医師が病気等でも、その程度や状況次第では正当事由に当たらないとされる可能性があるとされています(S30.8.12 厚生省医務局医務課長回答)。
この通達の年代や「厚労省通達」ではなく「厚生省通達」であることからお分かりのように、古い見解が、時代が変わってもずっと公式のものとして生きてきたわけです。
昔は医師や病院も少なく、地域的にも偏在していたことから、特に地方の医療を維持する上では医師の献身的な努力に依存せざるを得なかったという事情もあったでしょうが、それは献身的な努力を個々の医師に求めることになるわけで、過重労働となるのは必然です。
また、最近は、診療を受けながら診療費を支払わない人や、不当なクレームを言い募るモンスターペイシャントが増え、このような人たちへの対応も医師や病院の大きな負担になっている現実があり、このような人たちにも医師は応召義務を厳格に履行しなければならないのか、が深刻な問題として認識されるようになっています。
こうしたことから、医師法19条1項の応召義務はもっと柔軟な解釈や運用がされるべきという議論が以前からあったのですが、厚労省はあまり積極的にこれを解決しようという姿勢はありませんでした。厚労省はいろいろ問題が多い役所ですが、この辺りにも厚労省の問題性が表れているといえます。
それが、働き方改革の流れがきっかけとなって、ようやく今般厚労省も重い腰を上げたということです。
2018年度に医療状況の変化を踏まえた応召義務の解釈に関する厚生労働科学研究が行われ、昨日の医療部会でその研究班の報告書が公表されました。
まだ厚労省のHPには上がっていないので未見ですが、報道によると、報告書は、以下のような概要のようです。
・応召義務が法的な効果以上に大きな意味を持ち、医師の過重労働につながってきた側面があること、地域の医療提供体制を確保しつつ、応召義務の規定によって医師個人に過剰な労働を強いることのないような整理を体系的に示す必要があることを指摘。
・診療拒否を考慮する際の最も重要な要素は患者への緊急対応が必要かどうか(病状の深刻度)であるとの観点から、診療拒否が正当化される個別的なケースを整理し、診療時間内・勤務時間内に救急患者などの緊急対応が必要な場合は、医療機関や医師の専門性・診察能力、設備状況などを総合的に考慮した上で、「事実上、診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化される」と強調する一方、診療時間外・勤務時間外に緊急対応が求められる場合は、医療の倫理上、応急的に必要な処置を取るべきとされるが、「原則、公法上・私法上の責任に問われることはないと考えられる」としている。
・診療時間内・勤務時間内に緊急対応が不要なケースでは、原則として患者の求めに応じて医療を提供する必要があるが、緊急対応の必要があるケースと比べて、「正当化される場合は緩やかに(広く)解釈される」とし、他方、診療時間外・勤務時間外なら、「即座に対応する必要はなく、診療しないことに問題はない」「時間内の診療依頼、他の診察可能な診療所・病院などの紹介等の対応をとることが望ましい」との解釈を示す。
・診療時間内・勤務時間内に患者から迷惑行為を受けた場合は、以前の診療行為などで生じた迷惑行為の態様に照らし、その患者との信頼関係がなくなっていれば、新たな診療を行わないことが正当化される。
・医療費不払いの場合は、以前に同様のことが行われたとしても、そのことだけの事由で診療を拒否することは正当化されないが、自由診療で支払能力がない患者を診療しないことは正当化される。
応召義務の解釈においては、上記の報告書でも触れられているように、病状の深刻性との関係が最重要な基準となるであろうことは確かですが、その判断が難しいことがあるので、実際の運用では悩ましいケースが多いと思われ、実例の積み重ねと、それを踏まえた指針の具体化が必要となるでしょう。
ただ、上記の報告書の考え方はこれまで放置されてきた医療現場の悩みを踏まえたものと思われ、厚労省としてきちんと整理をしてしっかりした指針を出してもらいたいところです。
以 上